川浪勇太ができるまで。(幼少期)
このブログで現在のFUSEとしての川浪勇太になるまでの生い立ちを語っていこうと思います。
1982年12月26日に長崎県松浦市福島町に川浪家の長男として生まれた。
上下2歳離れた姉と妹がいる。
両親は川浪家の跡継ぎが生まれ、嬉しかったと思う。・・・たぶん。
でも、数ヶ月後に重大な事が発覚する。
この事は現在の自分にとても大きな影響を与えている。
感謝しているくらいだ。
生まれて10ヶ月くらいでオムツを替えていると太もも辺りに大きなアザができていたそうだ。
何か変だなと思い病院に連れていくと、そのアザはある病気が原因だという事が発覚した。
その病名は「血友病(けつゆうびょう)」という病気だ。
多分、両親はすごくショックだったと思う。
涙も流しただろう。
この血友病とは男にしか発症しない病気で女性の体に病気の原因を保有し、男の子が生まれたら遺伝で発症するという特殊な病気だ。
症状は簡単に言うと「血が止まりにくい」
普通の人より「血液凝固因子」という血を固める因子が少ない。
例えば、つまずいて足首をひねったとすると、普通の人は単純に「痛い」で終わる。
時間とともに痛みもひくだろう。
でも、自分がやると足首に内出血をおこし足首が腫れ、3日以上は腫れがひかない。
みんなが筋肉痛だという時には毛細血管が切れているため、自分だったら大きなアザになってしまう。
そんな感じで、多くは関節に内出血を繰り返し関節が悪くなってしまう。
それを、どうやって治療するのかというと、少ない凝固因子を補う注射をする。
注射をする事で普通の人と変わらない体になる。
じゃあ、注射をすれば大丈夫かというとそうでもない。
注射の効果は7~8時間程度。
毎日注射できるかというと、珍しい病気な事と注射が高額な事もあり、どこの病院でも診てはもらえなっかた。
血友病の知識がある先生がいる福岡の病院まで通っていた。
対処法として内出血が起こった時に病院に行き入院をして注射をおこない、腫れが引くと退院。
小さい頃は、これを繰り返していた。
この病気はランクがある。
その中でも、重症・中等症・軽症とあり、軽症の人は全く気づかない人もいる。
俺は、その中でも重症のランクだった。
でも見た目は普通だし、内出血を起こさなければ全く健常者と変わらない。
小さな頃の記憶はほとんどないけど、福岡という遠く離れた病院に入院するのがすごく寂しくて夜になると時々病室で泣いていたような記憶がある。
今でも覚えているのは、自分が夜の間ずっと泣くから夜中に親が来てくれた事。
病院はすごく遠い所だと思っていたからすごく嬉しかった事。
母親が寝るまで傍に居てくれた事。
その風景は今でも覚えている。
多分、4~5歳だったと思う。
何故覚えているのかというと・・・それは、嘘泣きだったから。
すごく寂しくて両親に来てほしくてわざと大きな声で泣いていたから。
今考えると母親は免許を持っていなかったので、父親が連れてきてくれていたんだと思う。
仕事がすごく忙しかったので車で寝ていたんだと思う。
家には、姉と妹が居たから親が病院に頻繁に泊まる事は難しかった。
姉と妹にとっても自分が入院すると両親が居ない日もあり、寂しかったと思う。
年長の年になると、幼稚園に通い始めた。
内出血が起こらなければ、健常者と変わらないのでスポーツもやっていた。
ただ、体を動かし遊ぶ事が楽しくて仕方がなかった。
遊びすぎて、よく親に怒られていた。
内出血を起こさないか心配していたんだと思う。
一番好きだった事はドッジボールだった。
この幼稚園から現在まで一緒にいる友達がいる。
自分の人生はこいつが居なければこんな楽しい人生は送れていないと思う。
小さい頃はうっすらした記憶ではこんな生活だったと思う。